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大宜味村の歴史を知るスポット

Historic Spots
大宜味村役場旧庁舎 イメージ

大宜味村役場旧庁舎

1925年に竣工され、1972年まで村役場庁舎として使用されました。当時の国頭郡技手 清村勉が、台風や白蟻による被害を考慮して設計し、特に台風による風圧を軽減するため、八角の平面形状を取り入れました。モダンなデザインは西洋の絵葉書を参考にしたといいます。

また建設は清村勉指導の下地元出身の大工たちが携わり、当時まだ本土でもそれほど普及していなかった鉄筋コンクリート造で建てられました。骨材になる砂利は何度も水洗いをし、清村自身が舌で塩分を確認するなどの話が残っており、当時の苦労がしのばれます。
沖縄県の鉄筋コンクリート技術の導入や、構造法の歴史を知るうえで貴重な建造物として、国指定重要文化財に指定されています。
※現在耐震・修理事業中のため、外観のみ公開しています。

喜如嘉板敷海岸の板干瀬 イメージ

喜如嘉板敷海岸の板干瀬

きじょかいたしきかいがんのいたびし

板干瀬はビーチロックとも呼ばれ、熱帯・亜熱帯地域の島々に多く分布する南方系の岩石です。主に海岸に沿って炭酸カルシウムのセメント効果により砂礫などを固結しますがまれにガラス瓶など人工物が入ることもあります。

辺士名高校の北側地先から喜如嘉集落にかけては道路がまっすぐで、景色に変換がないことから昔は「イニブイドー (居眠り道)」とよばれていたとのことで、「喜如嘉板敷海岸の板干瀬」はこの道と平行に約1kmにわたって形成され、県内でも最大規模の長さを誇っています。昔は屋敷の塀や橋の材料としても盛んに使われ、喜如嘉にあるこのビーチロックにも昔切り出した後と思われるものが残っており、人々にとって身近な存在であったことを示しています。こうした規模の大きさと人々の生活文化に密着したものということから、県の天然記念物に指定されています。なお、村内には津波地区に特異な形のビーチロックが残っており、こちらは村の天然記念物に指定されています。

※波が荒い場合、特に満潮や小潮の場合は全体を観察できない場合があります。また天然記念物であることから現在は毀損・採取は禁じられています。

大宜味村の猪垣 イメージ

大宜味村の猪垣

おおぎみそんのやまししがき

猪垣がはじめてつくられたのがいつ頃かはわかっていませんが、1605年に野国総監が沖縄に芋苗を持ってきたのち、作物として定着した頃から猪垣が構築されたと考えられています。昔の人々にとって、畑への猪 (ヤマシシ) の侵入は、主食であるイモをはじめとした作物を失うことになるため、その侵入を防ぐことは農民の生きるための戦いでもありました。そのための対策として、杣山 (現在村有地) と農耕地 (畑) との境界に猪垣を築き、畑地への猪 (ヤマシシ) の侵入を防ぎ、畑を守ってきたのです。

琉球の歴史書「球陽」には、1776年から1782年にかけて、塩屋、屋古前田、田湊・渡野喜屋・根路銘等の住民が各むらの役人の指揮のもとに、猪垣の大々的な補修工事が行われ、高さ七尺 (約2.3メートル) より四尺 (約1.3メートル) の石垣を完成したところであり農閑期や月夜に石を集めてつんだとも記録されています。またそれ以外にも村役人の巡回や管理者への修繕命令・罰則などがありました。村民を動員した村での大規模修繕は戦後も行われていたとのことです。そうした猪垣が、今も村有地と個人有地の境界に残っています。村民の生活文化を知る上で貴重な史跡として、村の文化財に指定されています。

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